minä perhonenデザイナー皆川明さん
デザイナー皆川さんと一緒にサンドイッチを作りました
「せめて100年つづくブランドに」をコンセプトに掲げるブランド、ミナ ペルホネン。ファッションブランドとしてはもちろん、インテリアや雑貨なども常に注目を集め、オリジナルのテキスタイルから生み出される穏やかな風合いと上質なプロダクトから、多くの人々に愛されています。そんなミナ ペルホネンのデザイナーである皆川明さんにフォーカスを当てた展覧会「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」が、2019年11月より現在東京都現代美術館で開催中。
そのご縁で、東京都現代美術館の地下にある「100本のスプーン」にて皆川さんと一緒にスペシャルなサンドイッチを考えました。(2020年1月8日~2月16日の期間にて販売予定)
「100本のスプーン」でご提供するこのサンドイッチが、ミナ ペルホネンや皆川さんを知るきっかけになったり、はたまた、展覧会「つづく」の「つづき」を味覚でもお楽しみいただく機会となれば幸いです。
今回サンドイッチづくりをご一緒させていただきながら、ミナ ペルホネンを作り上げた皆川さんのこれまでについてもお話を伺いました。
ものづくりのきっかけは家具屋での隠れんぼだった
(早速、フライパンで玉ねぎを炒める皆川さん)
–今日は100本のスプーンへと遊びに来ていただいてありがとうございます。突然なのですが、100本のスプーンではお子様連れのお客様が沢山いらっしゃるということもあって、子供たちに“はじめて”を経験してもらえるようなイベントなどを企画しています。それに紐づいて改めてお伺いしたいのですが、皆川さんがはじめてものづくりやデザインと出会ったのはいつ頃だったのでしょうか?
皆川明(以下「皆川」):プロダクトやデザインに興味を持つきっかけをくれたのは祖父母だと思います。当時彼らは北欧やイタリアのインテリアを扱う輸入家具商をやっていてショップもありました。そこで僕と姉はかくれんぼとかをして遊んでいたんですね。だからふとした時に祖母が教えてくれるんです。この革はバッファローの革だよ、とか、漆っていうのは日本の塗料で何百年も使えるんだよ、とか。あの時の言葉とか感触が未だに僕の中に残っているんじゃないかな。ちなみに、ものを作るために実際に手を動かし始めたのは18歳ですね。高校卒業後にヨーロッパへ旅をしようと思い立ったんです。そうして旅の途中でお金が必要だった時にアルバイトがあるよと誘われて、その仕事っていうのがパリでのファッションウィークのお手伝い。ファッションシーンを垣間見てファッションに興味を持ちました。
(御代田町にある片山肉店から取り寄せてくださったコンビーフ)
–ミナ ペルホネンといえば北欧のデザインとリンクする部分もあるかと思いますが、北欧に関してはどこで興味を持たれたんでしょう。
皆川:それに関しても、祖父母の家具屋で扱われていたマリメッコからですね。正式には西川産業が寝具として作っていたものを販売していたみたいなんですけれど、それを見て素敵だなぁって思ったのがきっかけです。それで19歳でフィンランドに行ったんですよ。北欧家具って60年代、70年代は日本との親和性があるんですが、僕が訪れた80年代には今ほどフォーカスされていなかった気がします。特に下調べはしていませんでした。ただフィンランドに行ってみたかったんです。マリメッコの生地がそこに行ったらあるんだなって。ただそれだけで行っちゃったんですよね(笑)。
(食感で玉葱を感じてもらえるといいよね、と完全に料理人な発言の皆川さん)
–
関係ないと思っていたことも、すべてが今に繋がっている
(キャベツは千切りにしてさっと湯通しが我が家のやり方です、とのこと)
–文化服装学院を卒業してからミナ ペルホネンを立ち上げるまでの経緯を教えていただけますか。
皆川:夜学時代から昼間は縫製工場で働いていたので、裁断や縫製についてはそこで学びました。その後、西麻布にあったオーダーのお店で仮縫いの仕事を始めました。そこは所謂高級プレタと呼ばれる上等な洋服のお店だったので、質の良い素材に触れる機会もたくさんあって良い経験になりました。そうこうして働きながらなんとなく仮縫いの仕事に慣れてきた頃、当時よく通っていたクラフトギャラリーの人が「近所で私の友達がブランドをやってるんだけど手伝わない?」って声を掛けてくれたんです。それで僕はその仕事を引き受けたんですけど、だんだんとそっちがメインになっていったんですね。というのもそこは本当に忙しかった(笑)!よく働きましたよ。それこそ寝る間を惜しんでね。でもここで生地について学ぶことになったんですから、僕にとっては大切な時間でした。
(塩昆布が登場して、少しだけ皆川さんに親近感が)
–どのタイミングで独立を決められたのですか。
皆川:26歳くらいのときかな。自分のことをしたいと思いはじめたんです。それで独立しましたが、最初なんてお金があるわけない。ということで、魚市場でアルバイトを始めました。朝の4時から昼まで鮪を糸鋸で解体して、午後は深夜までミシンで縫製をする生活でしたね。考えてみたら市場でもアトリエでも似たようなことしてますよね(笑)。ちなみに、その頃は瞬間的に寝る技術を会得しました。「いっせいのせ」で寝れるようにしないと睡眠時間が確保できないような生活でした。
(胡椒は香りが山椒っぽいものを、ということでcallから持参してくれました)
–でもなぜ魚市場を選んだのですか。
皆川:その頃アトリエの近くにある染物屋さんと生地工場の2箇所で生地作りの現場でお手伝いさせてもらって、自分なりに勉強していました。仕事をしつつ、もちろん無給で。隙をみてはミナの布を作らせてもらったりしましたね。そんなある日、染物屋さんのお手伝い中に魚市場の求人広告が目に飛び込んできたんです。しかも染料を取り替えるときに下敷きに使っていた新聞紙の求人欄なんだから、それもまたよくできた冗談みたいな話なのですが(笑)。魚市場の朝は早いので仕事は少なく見積もっても昼には終わる。そうしたら昼からは自分の作業もできるじゃないですか。ぴったりだと思って始めて、結局4年間勤めてましたね。
(野菜だけのサンドイッチだからパンにはバターの香り豊かなクロワッサンを)
–その経験から今にリンクすることがあれば教えてください。
皆川:色々なことがリンクしますね。例えば材料が大事だなとか。マグロって尻尾で肉質を見るんですね。それってつまり、捨てられそうな安い具材で大トロの肉質を競るわけですよ。そこから学んだのが、裏地とか、普段は見えない場所の始末を綺麗にすること。どこをみても綺麗な服をつくろうと思いましたね。あとはそうですね、良い食材を選べる職人は包丁さばきが綺麗なんです。だから材料を見る目と技術はイコールなのではないかと感じました。一度ミナ ペルホネンの社訓を書こうと思ったら、全部、魚市場で学んだことでしたね。今思うと洋服の仕事をするよりも良かったんじゃないかな。自分がやりたいこととある意味切り離すことができましたしね。
(100本のスプーンの野菜をつくってくださっている小泉農園の野菜を確認中)
–
「せめて100年」に込められた想いとは
–“いつまでも着られる洋服を作る”というミナ ペルホネンの考え方について聞かせてください。ファッション業界ってシーズン毎にトレンドの違うアイテムが出てきますよね。毎年新しいものを買って欲しいから、その時のトレンドに沿った洋服を作るという話だと思うんですが、それをしないのというのはビジネスとしてやっぱり大変なことなんじゃないでしょうか。
皆川:そうですね。最初はただ単に「長く着て欲しいな。修理が必要ならしますよ」っていう単純な気持ちで始めました。でも、その考え方に対しての周りの意見って今みたいなことだったんです。つまり、消費するものを作らないと売上にならないんじゃないかっていう意見ですね。でもね、その一方で、いつまでも修理してくれる洋服のブランドから洋服を買いたいって思う人だっているんじゃないかと思ったんです。その上で年間1着とか2着は新しいものが欲しくなる。その1、2着を皆さんが買ってくれたら僕は十分というか。
(サンドイッチの試食にはスマイルズ代表の遠山も同席して)
–確かにミナ ペルホネンの洋服はいくら着倒してもその経年変化が楽しいというか、ずっと新鮮な気持ちで着ることができるって色々な人から聞きます。皆さん本当に愛着を持って使っていらっしゃる。その上で改めてお伺いしたいのが「せめて100年続くものを」という言葉についてです。この言葉を聞いたときに不思議な違和感を感じたんですが、この“せめて”ってどういう意味なのでしょうか?
皆川:100年って意外と短いんです。一方で自分が頭の中で描けるのは100年くらいまでかなと思ったときに、「せめて100年」だったんですよね。実はこの言葉について考えたのはミナ ペルホネンを始めたあたり。A4の紙に記したんです。ものづくりについての自分との約束事にしようって。100年先の世界に僕はもういません。だから自分じゃない誰かがこのミナ ペルホネンを続けてくれている世界なんですよね。この“ミナ”ってフィンランド語で“自分”っていう意味なんです。つまり、次のクリエイターが皆川明である必要がない。僕じゃなくて次にデザイナーをやる人のクリエイションでいいんです。そうやって続いていけばいいなっていう想いを込めて、「せめて100年」なんですね。
–自分じゃない誰かがブランドを続けてくれる世界。それは、まさに私たち100本のスプーンが大事にしている価値観と通じるところがあります。私たちは「自分ごと」という言葉を使いますが、スタッフ一人ひとりがお客様にとって記憶に残る時間を過ごしていただくために何をすべきかを考えて行動すること。その当たり前の積み重ねの先に、ミナ ペルホネンさんのように、たくさんの方から愛されるブランドになれるヒントがあるのだと改めて感じるインタビューでした。
■プロフィール
皆川 明(みながわ・あきら)
designer/minä perhonen
1967年東京生まれ。1995年に自身のファッションブランド「minä(2003年よりminä perhonen)」を設立。時の経過により色あせることのないデザインを目指し、想像を込めたオリジナルデザインの生地による服作りを進めながら、インテリアファブリックや家具、陶磁器など暮らしに寄り添うデザインへと活動を広げている。また、デンマークKvadrat、スウェーデンKLIPPANなどのテキスタイルブランドへのデザイン提供や、新聞や雑誌の挿画なども手掛ける。
■現在開催中の個展情報
「ミナ ペルホネン / 皆川明 つづく」
会期:2019年11月16日〜2020年2月16日
会場:東京都現代美術館 企画展示室 3F
住所:東京都江東区三好4-1-1
電話番号:03-5777-8600
開館時間:10:00〜18:00 ※展示室入場は閉館の30分前まで
休館日:月(ただし2020年1月13日は開館)、1月14日
料金:一般 1500円 / 大学・専門学校生・65歳以上 1000円 / 中学・高校生 600円 / 小学生以下無料
■取材場所
100本のスプーン東京都現代美術館内
住所:東京都江東区三好4-1-1
電話番号:03-6458-5718
開館時間:11:00〜18:00
(ちょっと長めの編集後記)
今回のインタビューから100本のスプーンにとっての学びをここに残しておきたいと思います。
1つは、子どもたちの記憶に残るものには妥協しないということ。
皆川さんのデザインとの出会いは祖父母の営む家具屋での「かくれんぼ」だったというお話。子どもの頃に愉しかった時間というのは想像以上に。自身の人格や価値観に影響を与えるのかもしれません。そう思うと、私たちのお店もただ愉しい時間を提供するだけではなく、その先にある子どもたちの未来にとっても価値ある体験を提供したいと感じました。料理はもちろん、食器や家具、音楽、どんな言葉で声を掛けるか。子どもだからといって「コドモ扱い」するのではなく、大人と同じように真摯に向き合っていきたいと改めて思いました。
2つ目は、お客様とは緩やかでもいいので長く関係を続けること。
「1、2着を皆さんが買ってくれたら僕は十分」という皆川さんの言葉には、とても勇気付けられました。飲食店は、常に新しいお客様にご来店いただくために販促活動に注力するものです。でも、私たちはいま目の前にいらっしゃるお客様が、また来たくなるような時間を提供することにもっと知恵もリソースも使いたいなあと思っています。そんな積み重ねが、誕生日や卒業式などの記念日にお店を思い出してもらえる理由になったら、そのほうが嬉しいなと思うのです。
以上。「100本のスプーンが気になる、あの人」というシリーズの初回でした。
皆川さんと一緒に考えたサンドイッチをご用意して皆さまのご来店をお待ちしております。
100本のスプーン スタッフ